母親の作るバナナケーキってのを久しぶりに食べたい
とりあえず、明日で今いる京都赤十字病院とはお別れです。
6月の16日に鳥取からヘリコプターで運び込まれて二ヶ月半、実際覚えていることなんてほとんどないんですが、ここでの日々は私に貴重な経験をさせてくれたと思います。出来ればもう二度と体験したくないけど(笑)
「植物状態になることも覚悟してくださいとまで言われたけど、よくここまで回復したなぁ」とは父親の談。
まぁ私は眠っていただけなので周囲の人がどれだけ心配していたのかは分かりませんし、意識を取り戻してからしばらくして親に「お前は死にかけたんだ」と聞かされるまで何の自覚もなかった。
人はよく死線をさまよったときに花畑を見たり死んだ肉親に会ったりしますが、私はそんなことは一切なく、広島カープにピッチャーとして活躍して年俸が640万円って結局金かよ! な記憶がうっすらと残っております。マジでこまっちゃん仕事さぼってたのかもね。
むしろ目が覚めて、自分が生きていることを自覚し始めた辺りが一番つらかったように思う。
下半身以外がほとんどマヒして寝返りも打てなくて、当然トイレにも行けなくておむつで用を足して、手は動かないし首も動かないから暇をつぶす物もなくて、1日中病室のベッドで寝たきりの生活。食事なんかも食べれないから点滴を打って。
病室のベッドで天井を見上げ、窓から入る光だけが時間の経過を教えてくれた。
途方もなく長い時間だったように思う。
一番怖い絶望を味わった。
絶望なんて日常生活の中でも覚えるものだけど、あれほど真っ暗なものはなかった。目の前が真っ暗になるって、まさにこういうことなんだって思わされる。
やりたいと思ったことが出来ず、1日中変わらない天井を見上げて時間が経過するのを待つわけでもなく、ただ過ぎていくのを見ている、そんな一日がこの先いつまで続くのだろうかと、考えるだけで泣きそうだった。
家族は傍にいてくれたし看護婦さんはいつも笑顔だった。それでも動かない体という現実は私を孤独にさせた。死んだ方が楽なんじゃないかってくらいに。
この時の感覚は本当に筆舌に尽くしがたい。未来が怖かった。けどリハビリが進んで、右手がかろうじて動かせるようになった。今では完全とはいかないまでもだいぶ動かせるようになり、寝返りも多少なら打てるようになっている。
右手が動き、パソコンが出来るようになってからは、それまで自分が何をしていたのかをパソコンのデータをひっくり返して見返した。事故の影響で、事故当日やその前日のことを何も覚えていないせいなのだろう。
……なんだかしんみりしちゃったけど、とにかくリハビリの成果が着実に出ていることは喜ぶべきことだ。ベッドの上で泣いて怯えた「自分はいつまでこうしていなければならないのか」という日々に明日、一応の決着がつく。未だに左腕は動かないし声もうまく出せないからリハビリの道のりはまだ長いだろうけど、とりあえず退院おめでとう。明日から郊外の病院での入院生活が始まります(笑)
そう言えば月曜日の検査結果を聞いた先生が「もうなんでも食べていいよ」って言ってたけど、お酒は良いのかな?
まぁそのうち
6月の16日に鳥取からヘリコプターで運び込まれて二ヶ月半、実際覚えていることなんてほとんどないんですが、ここでの日々は私に貴重な経験をさせてくれたと思います。出来ればもう二度と体験したくないけど(笑)
「植物状態になることも覚悟してくださいとまで言われたけど、よくここまで回復したなぁ」とは父親の談。
まぁ私は眠っていただけなので周囲の人がどれだけ心配していたのかは分かりませんし、意識を取り戻してからしばらくして親に「お前は死にかけたんだ」と聞かされるまで何の自覚もなかった。
人はよく死線をさまよったときに花畑を見たり死んだ肉親に会ったりしますが、私はそんなことは一切なく、広島カープにピッチャーとして活躍して年俸が640万円って結局金かよ! な記憶がうっすらと残っております。マジでこまっちゃん仕事さぼってたのかもね。
むしろ目が覚めて、自分が生きていることを自覚し始めた辺りが一番つらかったように思う。
下半身以外がほとんどマヒして寝返りも打てなくて、当然トイレにも行けなくておむつで用を足して、手は動かないし首も動かないから暇をつぶす物もなくて、1日中病室のベッドで寝たきりの生活。食事なんかも食べれないから点滴を打って。
病室のベッドで天井を見上げ、窓から入る光だけが時間の経過を教えてくれた。
途方もなく長い時間だったように思う。
一番怖い絶望を味わった。
絶望なんて日常生活の中でも覚えるものだけど、あれほど真っ暗なものはなかった。目の前が真っ暗になるって、まさにこういうことなんだって思わされる。
やりたいと思ったことが出来ず、1日中変わらない天井を見上げて時間が経過するのを待つわけでもなく、ただ過ぎていくのを見ている、そんな一日がこの先いつまで続くのだろうかと、考えるだけで泣きそうだった。
家族は傍にいてくれたし看護婦さんはいつも笑顔だった。それでも動かない体という現実は私を孤独にさせた。死んだ方が楽なんじゃないかってくらいに。
この時の感覚は本当に筆舌に尽くしがたい。未来が怖かった。けどリハビリが進んで、右手がかろうじて動かせるようになった。今では完全とはいかないまでもだいぶ動かせるようになり、寝返りも多少なら打てるようになっている。
右手が動き、パソコンが出来るようになってからは、それまで自分が何をしていたのかをパソコンのデータをひっくり返して見返した。事故の影響で、事故当日やその前日のことを何も覚えていないせいなのだろう。
……なんだかしんみりしちゃったけど、とにかくリハビリの成果が着実に出ていることは喜ぶべきことだ。ベッドの上で泣いて怯えた「自分はいつまでこうしていなければならないのか」という日々に明日、一応の決着がつく。未だに左腕は動かないし声もうまく出せないからリハビリの道のりはまだ長いだろうけど、とりあえず退院おめでとう。明日から郊外の病院での入院生活が始まります(笑)
そう言えば月曜日の検査結果を聞いた先生が「もうなんでも食べていいよ」って言ってたけど、お酒は良いのかな?
まぁそのうち
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