こういう村紗がある一方、ぬえとキャッキャウフフしたり聖にベタベタな村紗も好きである。
うむ、ここ最近は素晴らしくやる気が出ない。
五月病なのか燃え尽き症候群なのかうつ病なのか、それすらも私の自律神経では解明できないのだ。
流行りのサークルは嫌いですか?
ところで来る6月1日はうちの大学の創立記念日で特別休講なのですよ。
その機会を利用して先輩とともに出雲の方へドライブへ行こうかという企画が持ち上がっております。私としても久しぶりに足立美術館や出雲大社、立久恵峡などへ行けるかと思うと吝かでもない。時間が許せばイングリッシュガーデンにも行ってみたいしね。
まぁそんなことはどうでもいいとして、村紗って燃え尽き症候群キャラだというイメージが少し前から私の中で定着しつつある。
全体的に薄幸少女なのはたぶん間違いないよ。
なにしろはるか昔に乗っていた船の沈没で溺死したし、その後も舟幽霊になったくらいだから残した未練も相当なもの。躍起になって他の船を沈めまくっている間にいつの間にか力を得て妖怪になって仕舞には聖に討伐(というか懐柔)される始末。
確かに聖のくだりでは救われた感があるけど結局、多くの人の命を奪って手に入れた自分の力と言うものも、聖が封印されるときには何の役にも立たずにそのまま地底の底へ埋葬され、千年くらいの長い時間、後悔とか自責とかで七転八倒の狂気を味わった後、どうにか間欠泉の騒動に紛れて聖を救出。
まぁこのくだりもエエ話やなぁ~、っと思っていたら船は命蓮寺になって船長のお役御免ときましたか。
つまりですよ?
聖救出にあたって村紗は最前線で活躍して、終わってみれば彼女の存在する理由も終わっていたという、そんな残念なオチが待っていたということです。
あぁなんてかわいそうな村紗。
セーラー服にアンカー装備の船命! みたいな彼女から船が奪われ、舟幽霊であるというのに幻想郷には海がない!
そのうえ長い悔恨の果て抱いた聖救出のため、片道分の燃料しか積まずに魔界へ突撃した彼女の姿勢にはもう、聖を助け出すという最終目標も達成してしまっていて、それ以上自分の活路を見出すことはできないんだと思います。
この状況、燃え尽き症候群にならないはずがない。
毎日寺の縁側に座って、一日中何をするわけでもなくぼうっと空を見上げ、ご飯のときもお風呂の時も常に心ここにあらず。眠るときは死んだように眠って、眩しい朝の光に照らされて目を覚ませば、まずはじめにため息が出る始末。
「ここはどこ? 私は誰? 聖を助け出して船を失った今、私は何をすればいいの?」
そんな自問自答の毎日。
寺の面々に気遣われれば作り笑顔で大丈夫と手を振っても、誰もいなくなると重苦しいため息しか出てこない。
今いる幻想郷はとても平和で、とても優しくて、でもそんな優しさや穏やかさに対して、村紗はどんな顔をして接すればいいか分からない。
おおくの人妖がそれぞれの個性を気兼ねなく見せながら暮らすその世界は、かつて聖とともに夢見た世界に限りなく近いのだけど、今の自分に皆のような個性があるかと言うと、もうない。何もない。全て投げ打った。
その結果が今、この幻想郷での暮らしなのだから、それは村紗にとってこの上ない幸福であるはずだ。
聖のために、聖とともに思い描いた夢は、もう叶った。
だったらもう今の村紗に思い残すことなどない。残しているものなど、何一つない。
新緑に萌える山間へと夕日が落ちて行くのを、いつものように寺の縁側で眺めながら、村紗はつぶやく。
「死にたい」と。
ふふふ、鬱な妄想ってのはいいもんだ。
でも実際、彼女はそういう寺にいる他の面々とは違う立場に立たされていると思う。聖救出の前と後では随分自分自身の変化というのも大きいだろうし。
まぁいいや。どうでもいいや。
しかしそう考える一方で、思い残すほどの思いのない世界に生きることってのは本当につらいと思う。
「何かをしなければならない」という思い、あるいは脅迫観念があるからこそ生きていられるんだよ。
半分自分を脅して生きているようなものだよね。
五月病なのか燃え尽き症候群なのかうつ病なのか、それすらも私の自律神経では解明できないのだ。
流行りのサークルは嫌いですか?
ところで来る6月1日はうちの大学の創立記念日で特別休講なのですよ。
その機会を利用して先輩とともに出雲の方へドライブへ行こうかという企画が持ち上がっております。私としても久しぶりに足立美術館や出雲大社、立久恵峡などへ行けるかと思うと吝かでもない。時間が許せばイングリッシュガーデンにも行ってみたいしね。
まぁそんなことはどうでもいいとして、村紗って燃え尽き症候群キャラだというイメージが少し前から私の中で定着しつつある。
全体的に薄幸少女なのはたぶん間違いないよ。
なにしろはるか昔に乗っていた船の沈没で溺死したし、その後も舟幽霊になったくらいだから残した未練も相当なもの。躍起になって他の船を沈めまくっている間にいつの間にか力を得て妖怪になって仕舞には聖に討伐(というか懐柔)される始末。
確かに聖のくだりでは救われた感があるけど結局、多くの人の命を奪って手に入れた自分の力と言うものも、聖が封印されるときには何の役にも立たずにそのまま地底の底へ埋葬され、千年くらいの長い時間、後悔とか自責とかで七転八倒の狂気を味わった後、どうにか間欠泉の騒動に紛れて聖を救出。
まぁこのくだりもエエ話やなぁ~、っと思っていたら船は命蓮寺になって船長のお役御免ときましたか。
つまりですよ?
聖救出にあたって村紗は最前線で活躍して、終わってみれば彼女の存在する理由も終わっていたという、そんな残念なオチが待っていたということです。
あぁなんてかわいそうな村紗。
セーラー服にアンカー装備の船命! みたいな彼女から船が奪われ、舟幽霊であるというのに幻想郷には海がない!
そのうえ長い悔恨の果て抱いた聖救出のため、片道分の燃料しか積まずに魔界へ突撃した彼女の姿勢にはもう、聖を助け出すという最終目標も達成してしまっていて、それ以上自分の活路を見出すことはできないんだと思います。
この状況、燃え尽き症候群にならないはずがない。
毎日寺の縁側に座って、一日中何をするわけでもなくぼうっと空を見上げ、ご飯のときもお風呂の時も常に心ここにあらず。眠るときは死んだように眠って、眩しい朝の光に照らされて目を覚ませば、まずはじめにため息が出る始末。
「ここはどこ? 私は誰? 聖を助け出して船を失った今、私は何をすればいいの?」
そんな自問自答の毎日。
寺の面々に気遣われれば作り笑顔で大丈夫と手を振っても、誰もいなくなると重苦しいため息しか出てこない。
今いる幻想郷はとても平和で、とても優しくて、でもそんな優しさや穏やかさに対して、村紗はどんな顔をして接すればいいか分からない。
おおくの人妖がそれぞれの個性を気兼ねなく見せながら暮らすその世界は、かつて聖とともに夢見た世界に限りなく近いのだけど、今の自分に皆のような個性があるかと言うと、もうない。何もない。全て投げ打った。
その結果が今、この幻想郷での暮らしなのだから、それは村紗にとってこの上ない幸福であるはずだ。
聖のために、聖とともに思い描いた夢は、もう叶った。
だったらもう今の村紗に思い残すことなどない。残しているものなど、何一つない。
新緑に萌える山間へと夕日が落ちて行くのを、いつものように寺の縁側で眺めながら、村紗はつぶやく。
「死にたい」と。
ふふふ、鬱な妄想ってのはいいもんだ。
でも実際、彼女はそういう寺にいる他の面々とは違う立場に立たされていると思う。聖救出の前と後では随分自分自身の変化というのも大きいだろうし。
まぁいいや。どうでもいいや。
しかしそう考える一方で、思い残すほどの思いのない世界に生きることってのは本当につらいと思う。
「何かをしなければならない」という思い、あるいは脅迫観念があるからこそ生きていられるんだよ。
半分自分を脅して生きているようなものだよね。
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